北朝鮮帰国事業裁判弁護団

北朝鮮帰国事業について、北朝鮮政府の責任を問う裁判の弁護団です。

一審判決のご報告

本日の判決ですが、

  • 勧誘行為については、除斥期間(20年)の経過により棄却
  • 北朝鮮への渡航後の留置行為については、勧誘行為との不法行為としての一体性を認めず、日本の国際裁判管轄を否定し却下

という不当な結論でした。原告は全員控訴する予定です。

以下、一審判決と要旨です。

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裁判傍聴記その3 川崎栄子さん尋問編

2021年10月14日(木)10:00~16:30 東京地方裁判所103号法廷にて行われた第1回口頭弁論期日の内容について、連載でお届けしています。

いよいよ原告本人尋問です。まずは川崎栄子さんの尋問(60分)から始まりました。

原告本人尋問は実際には問答方式で行われていますが、この傍聴記では、一人称を「私」とした語り方式でまとめたいと思います。

北朝鮮に渡るまでの経緯

私は日本の京都で、5人兄弟の1番上の子供として産まれました。

小・中学校は日本の地元学校に通い、高校から朝鮮学校に通いました。朝鮮学校に通うことにしたのは、家庭の経済状況が悪く、当時は在日朝鮮人が日本の奨学金を受けることができなかったこともあって、日本の公立高校に行くことができなかったからです。そのような時に朝鮮総連の人が家に来て、「朝鮮学校には在日のための奨学金がある」「特待生の試験を無料で受けられる」と教えてくれました。日本の高校に行くお金を出してくれるという篤志家もいましたが、私は自分の実力で学校に行きたかったので、特待生の試験を受けて合格し、朝鮮学校に通うことにしました。

朝鮮学校は、日本の学校とは全く違いました。教室には金日成の肖像画がかかっていて、最初に教わったのが愛国歌と金日成の歌でした。先生たちは授業の度に、朝から晩まで、「北朝鮮は地上の楽園である」と宣伝していました。

家族の中で、北朝鮮に行きたいと最初に言い出したのは私です。

学校で毎日北朝鮮の宣伝を聞く中で、また、韓国の李承晩政権が倒れたら金日成が韓半島を統一し韓半島全体が社会主義体制になると考える中で、「社会主義体制について自分は何を知っているんだろう」「私自身が北朝鮮の社会主義体制を実際に体験しなければならない」と思うようになりました。

私の両親は韓半島南部出身でしたので北朝鮮に行くことについて、家族は当初乗り気ではありませんでした。しかし、私が「どうしても行く」と言ったので、父も最後には「わかった」といいました。

北朝鮮には、まず私がひとりで行くことになりました。両親は30年以上日本に住んでいましたので、移住するにも準備に時間がかかるということでしたが、私はそれを待ちたくないと思っていました。すると、父が「先にひとりで行け。1年で準備をして、1年後に皆であとから行く」と言い、そうすることになりました。

当時私は17歳の高校3年生でしたが、宣伝で北朝鮮は地上の楽園であるとすり込まれていたため、不安は全くありませんでした。

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裁判所で体験を証言する川崎栄子さん。(小野寺敬一氏提供)

北朝鮮での生活

北朝鮮には新潟から船に乗って行きましたが、船での別れは長くて辛いだろうと父が言ったので、家族とは京都駅で別れました。京都駅からは「帰国列車」に乗って新潟まで向かいました。帰国列車は、鹿児島から新潟までのものと、北海道から新潟までのものとがありました。

列車には学校の上級生が2人乗っていたので、そこからはその2人と一緒に行動しました。

帰国船が北朝鮮の清津の港に入ったとき、港自体が煤けて黒く、みすぼらしく見えました。黒く見えたのは製鉄所のばい煙によるものだと後でわかりました。
埠頭に歓迎に来ていた数千人の群衆は、花束を持って歌を歌ってくれましたが、皆栄養失調でやせ細り、日に焼けて真っ黒で、粗末な服を着ていました。服は、日本ならば作業服にもならないようなぺらぺらのもので、皆が同じ服を着ていました。靴下を履いている人はいませんでした。

帰国船が港についたとき、岸壁に私が列車の中から一緒だった2人の上級生の同級生で少し先に北朝鮮へ来ていた人がいて、その人は私たちに対して「そこに乗っている3人!誰も降りるな!そのまま日本に帰れ!」と叫んでいました。とはいえ、帰国船から降りないで日本に帰ることは不可能ですし、叫んでいた人もすぐに連れて行かれていなくなりました。

船を降りた後は招待所に行きました。私は船酔いで弁当を食べられなかったのですが、残した弁当を集めに来た人が「こんなものも食べられなくなるのに」と独り言のように言っていました。よく見るとその人は、先に北朝鮮に渡った知り合いでした。

招待所に入って1週間ほど経った頃、事件が起こりました。飾ってあった金日成の抗日戦争の時の絵を引きずり下ろし、足で踏んでめちゃくちゃにした帰国者がいたのです。その人は10代の若者でしたが、捕まってどこかに連れて行かれてしまいました。その後彼がどうなったか誰も知りません。彼が捕まった後に他の帰国者が一堂に集められ説明を受けましたが、それまではニコニコしていた招待所で働いていた現地の人たちが、皆非常に怖い顔をして怒っていたのです。これを見て私は、「北朝鮮では行動に注意しなければとんでもないことになる、何を見ても聞いても、何も言ってはダメだ」と思いました。

大人たちが「騙された」とまず言いました。私も北朝鮮で2~3ヵ月過ごす間に、「ここに家族が来たら全員死ぬ。どうしても止めなければ」と思いました。特に、私の父はダメなことはダメだと白黒はっきり言わないと気が済まない性格でしたので、北朝鮮で生き延びれるとは思えませんでした。

私は日本を出るときに、いろいろな人と「着いたら連絡する」と約束をしていましたが、実際には親にしか連絡をしませんでした、100パーセント検閲されているので、検閲にかからずに「来るな」というメッセージを家族に気付かせるため、「弟が大学を卒業して、結婚したら、お嫁さんも一緒に会いましょう」と繰り返し書きました。当時弟は小学校4年生でしたので、大学を卒業して結婚するというのは遠い先のことです。このように、遠い未来の話だけを繰り返し書くことで、来てはならないというメッセージを伝えました。

結局私の家族は北朝鮮に来ませんでしたが、私のメッセージを理解してくれていると分かったのは、3年ほど経って母の親友が北朝鮮に来たときのことです。その人が「北朝鮮に行く」と私の母に言ったところ、母から「娘から、娘が書きそうにない手紙が来ている。北朝鮮には来るなということだと思う。もう少し日本で頑張ろう」と言われたそうです。

その人は、母の忠告を聞かずに北朝鮮に来ましたが、「子供も連れてきてしまってとりかえしがつかないことをしてしまった。あなたのお母さんの忠告を聞けばよかった」と、大泣きしていました。

私の北朝鮮での居住場所は、韓半島の東側になりました。

私が北朝鮮に渡った1960年頃は、国内の移動は制限がありませんでした。汽車の切符を買うのは大変でしたが、切符さえ買えばどこにでもいけました。

しかし、金正日が政治に関わるようになり、1970年代中頃になって急に通行証の制度ができ、居住地の行政区域内でしか動けなくなりました。仕事以外の目的では通行証は発行されない建前でしたので、仕事以外の目的の場合は賄賂を入れて通行証を発行してもらう必要がありました。

私はその後結婚し、子供は5人いました。北朝鮮には頼れる親族もいなかったので、経済的には厳しい状態でした。

配給は15日に1度でしたが、それも次第に遅れたり量が少なかったりするようになり、とうもろこしのおかゆやじゃがいもを食べる生活でした。お腹を空かせた子供たちは、秋には公園で赤とんぼを捕ってかまどに並べ、乾かして食べていました。
子供たちがお腹を空かせているのを見るのは辛い気持ちでした。友人にも「なぜ日本の親に助けてもらわないの」と叱責されたこともあります。しかし、自分がどうしても来たいと言って北朝鮮に来た手前、日本の親に頼ることはどうしてもできませんでした。

大飢饉

1994年頃からの大飢饉の頃についてですが、金日成が死亡すると、金正日は配給を全て停止しました。餓死した人々の死体が転がり、子供たちが闇市をうろつくようになりました。

私はそこで初めて、日本の親に「まとまったお金がいる」と連絡をしました。親は25万円用意してくれ、そこに友人が10万円足してくれて、そのお金で食堂の経営をはじめました。

食堂で使う食材は闇市で調達しました。金正日は闇市を許していたので、闇市は膨らんでおり、お金さえあれば何でも買うことができました。

この頃、数百万人の餓死者が出たということですが、私も餓死者の死体を目にしたことは数えきれないほどたくさんあります。私の食堂に食べ物が欲しいと訪ねて来た人が、実際にはもう食べ物を食べる力もなく、翌朝食堂の前で死んでいたということもありました。

餓死する人は皆、金になりそうなものは全て売り尽くしているので、「これが本当に服だったのか」と思うようなものを身にまとい、垢と汚れにまみれていました。

脱北

1994年に金日成が死亡したときには、他の社会主義諸国が倒れていることも耳にしていましたので、北朝鮮もここからよくなるのではないかと期待をしていました。しかし、金正日は国民を顧みず、父親(金日成)の墓を作り始めたのです。
国民が飢えて死んでいるというのに、国会議事堂を墓にするということで、全国の若者を集めてものすごいスケールの工事を始めました。それを見て、「こんな国の中でいくらバタバタしていても無駄だ、外から変えなければこの国は変わらない」と感じ、脱北する決意を固めました。

脱北は誰にも相談せず、1人でしました。どんなに親しい人にも、子供たちにも話しませんでした。誰かに話してそこから話が漏れれば、命取りになるからです。

日本への帰国後

私は、生きて日本に着いて生活が安定したら、子供たちも順番に全て脱北させるつもりでした。実際には、娘1人とその子供2人だけが脱北をしました。

脱北は命がけですので、他の子供たちは、幼い孫たちの命を心配して脱北できなかったのだと思います。

北朝鮮に残った子供たちが私と連絡しようとするときは、中朝国境地帯で中国の携帯電話を使って連絡をしてきていました。平壌からも国際電話をかけることはできるのですが、間違いなく盗聴されている上に他の人もいる前で話をしないといけませんので、秘密の話をすることはできません。

子供たちはそれぞれ年1回くらい連絡をして来ましたが、連絡の内容は、経済的に助けて欲しいというものが主でした。

私は日本から子供たちに年3~4回くらい船便で荷物を送っていました。1箱に12~13キロくらいのものを詰めて、何箱も送っていました。

私が脱北したことは、家族以外の人にも知られていたようです。孫の1人は、日本で育っていたら博士号をとったのではないかと思うくらい優秀な子でしたが、この孫が軍に入ったとき、孫の上官らが私の脱北を知っていて、孫には軍の仕事をさせずに家に帰らせて、金や物を貢ぐように指示していたそうです。しかし、孫はそのことを一度も私に知らせてきませんでした。当然上官らは何も得ることはできませんでしたので、怒った上官の1人が、孫を建物から突き落として殺してしまいました。

新型コロナウイルスが流行してからは、北朝鮮が国境を封鎖したためか、北朝鮮の家族とは一切連絡が取れなくなりました。一昨年(2019年)の11月に一番下の娘から電話があったのが最後です。今は子供たちの様子を何も知ることが出来ず、生死もわかりません。2020年7月には、郵便局から「送った荷物が北朝鮮に届けられなかった」と連絡があり、7箱戻ってきてしまいました。唖然としてしまい、涙も出ませんでした。
子供たちについては、「心配」というレベルを超えています。私は不眠症で、暗くなると北朝鮮のことがフラッシュバックしてきて絶対に眠れないのです。明け方空が明るくなるとようやくウトウトできるという状態です。

裁判所に対して

この難しい裁判を開いてくれてありがとうございます。私自身が生きてこの裁判を実現できるかどうかもわかりませんでしたので、心より感謝しています。

個人であっても国家であっても、罪を犯したものは法で裁かれなければなりません。ですから私はずっと「裁判」をしたいと訴えてきましたが、公示送達がされるまで、実現するとは信じられませんでした。

この裁判には2つの目的があります。

私たちのように北朝鮮に渡った人は94,430人います。そのうち1,800人は日本人妻で、6,800人は日本国籍を持っている人でした。

そのうちの大多数は既に亡くなっています。精神障害になったり、仕事に不適合だったり、何もしていないのに収容所に送られたり、寿命で亡くなったりしています。しかし、その配偶者や2世、3世が、今も数十万人北朝鮮に閉じ込められています。
私のように命をかけた危険なやり方でなく、正々堂々と日本に往来できるようにしたいというのが1つめの目的です。

2つめの目的は、今も北朝鮮にいる私の4人の子供と配偶者、5人の孫と生きて再会したいということです。

これらの目的を実現するため。北朝鮮の行為を、この日本という自由な国家で正義の天秤にかけて欲しいと思っています。


以上が川崎さんに対する尋問の概要になります。

なお、裁判所による補充質問はありませんでした。

クラウドファンディングのお願い 

裁判所で弁論期日が行われることを受けて、10月14日から12月10日午後11時まで、READYFORで北朝鮮帰国事業裁判のためのクラウドファンディングが行われています。

裁判で勝訴をつかみ、それをバネに北朝鮮に残る帰国事業の被害者及び子孫の救済を日本政府・国際社会に訴えていくには、多くの費用がかかります。

ぜひ一人でも多くの皆さまに、クラウドファンディングにご支援をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

皆様からのご支援は、北朝鮮帰国事業訴訟費用、帰国事業の実態の周知、北朝鮮に残る被害者及び子孫の救済に向けたアドボカシー・広報活動等に当てられます(READYFOR特設ページより一部引用)。

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裁判傍聴記その2 弁護団意見陳述(林弁護士)編

2021年10月14日(木)10:00~16:30 東京地方裁判所103号法廷にて行われた第1回口頭弁論期日の内容について、連載でお届けしています。

今回は、前回の福田弁護士の意見陳述に続いて行われた林純子弁護士の意見陳述の概要です。

不法行為の一体性とは

本件では北朝鮮政府の不法行為責任を追及していますが、不法行為は、行為から20年が経過すると、その法的責任を問うことができなくなってしまいます。原告らが北朝鮮に帰国したのは、最も帰国時期が遅い石川さんの場合でも1972年ですので、帰国時の虚偽宣伝行為のみを不法行為と捉えた場合、本件を提訴した2018年には既に20年以上経過していることになります。

しかし、本件では、帰国時の虚偽宣伝行為のみを不法行為とみるべきではありません。「虚偽宣伝を行って北朝鮮の状況を誤信させた上で帰国させ、帰国後は北朝鮮国内において移動の自由等を否定し、北朝鮮からの出国も許さず、同国内に留め置く」という形で、虚偽宣伝から出国妨害にいたる「国家誘拐行為」という不法行為が継続的・一体的に行われ、損害も継続的に発生した場合にあたると評価すべきです。

本訴訟では、この「継続的不法行為の一体性」を認めるかどうかが主要な争点の1つになっています。

林弁護士はこの点について、「なぜ一体と評価すべきであるのか」を詳細に説明しました。

継続的不法行為の一体性についての考え方

 

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不法行為の一体性の考慮要素

これは弁護団が説明の際に裁判官に示した図です。

この図にあるとおり、不法行為の一体性は、「行為」及び「損害」の一体性から判断されます。そして、「行為」の一体性は、主観的一体性と客観的一体性から判断され、「社会通念上一連一体の継続的な不法行為の実態」がある場合に認められます。

主観的一体性の有無を判断するための考慮要素となるのが「目的」や「計画」であり、客観的一体性の有無を判断するための考慮要素となるのが「行為主体」「時間的隔たり」「行為態様」です。

弁護団は、行為の一体性について、本件行為は「社会通念上一連一体の継続的な不法行為の実態」があることを説明しました。また、損害の一体性として、本件損害は「各時点ごとに切り離して評価することが困難で、一個の損害にあたるものと評価すべき場合」、特に「不法行為終了時において人生損害を全体として一体的に評価しなければ損害額の適正な算定ができない」場合にあたることを説明しました。これらが満たされる結果、国家誘拐行為は継続的不法行為として一体のものであると評価すべきことになります。

行為の一体性①:主観的一体性(目的)の検討

まず、弁護団は「主観的一体性」の考慮要素である「目的」に着目し、目的から考えると、北朝鮮政府は帰国者を北朝鮮国外に再度出国させないことを当初から前提としていたことを説明しました。

国家誘拐行為には大きく分けて、「政治的目的」と「経済的目的」があり、そのいずれの側面から見ても、当初から出国妨害行為は予定されていたと言えます。

政治的目的

政治的目的は、北朝鮮の社会主義体制の優越性を誇示することでした。

帰国事業が行われたのは東西冷戦の時期と重なっています。そして、日本の在日コリアンのほとんどは、朝鮮半島南部出身者、あるいはその子孫にあたります。南部出身者が故郷のある韓国ではなく、あえて体制の異なる北朝鮮へ渡る選択をしたということになれば、それは韓国をはじめとする西側陣営に対して、北朝鮮の社会主義体制の優越性を宣伝する効果を持つことになります。それは北朝鮮において大きな「政治的勝利」であると考えられていました。

しかし、いったん帰国した人々が次々に出国して行くようなことになれば、北朝鮮の社会主義体制の優越性を宣伝するどころか、全くの逆効果となります。したがって、政治的目的の見地からは、被告が、当初から帰国者を北朝鮮国内に留め置くことまでを想定していたことが明らかであると評価できます。

経済的目的

経済的目的は、労働力の補充です。

帰国事業の始まった1958年頃、北朝鮮では「第1次5か年計画」が推進されていましたが、労働者や技術者が不足していました。そこを、日本からの帰国者で穴埋めしようとしていたと考えられています。

ここでも、帰国者の多くが北朝鮮を離れることとなれば労働力の補充ができないことになるため、被告が帰国者を北朝鮮国内に留め置くことまでを当初から想定していたことは明らかです。

行為の一体性②:主観的一体性(計画)の検討

次に、弁護団は「主観的一体性」のもう1つ考慮要素である「計画」の側面に言及しました。帰国者を出国させないことが当初から計画されており、かつ、実際にも出国を許さない場合には、「継続的不法行為が不可分かつ連続して実施されることが当初より想定され、かつ、実際にそのように実施されたもの」であるとして主観的一体性が認められることになります。

帰国者を出国させないことが当初から計画されていたことを裏付ける事実として、被告の宣伝内容が、帰国すれば直ちに虚偽だと判明するようなものであったことが挙げられます。

北朝鮮政府は朝鮮総連を通じて、北朝鮮は「地上の楽園」であると宣伝していましたが、実際はまったく異なるものでした。たとえば、北朝鮮では「自分が住みたいところに暮らし、技能に応じてしたい仕事ができる」、「住宅は、都市では高層文化アパート、農村では文化住宅」と宣伝されていました。しかし実際には、帰国者の居住地や職場の配置は、朝鮮労働党中央の方針に沿って決定されており、当初から帰国者の希望が通る仕組みではありませんでした。また、住宅は、古い瓦屋根に土壁の家や、今にも潰れそうなバラック建ての宿舎、他人の家の片隅の6畳間のみというような状態でした。アパートも、お手洗いの場所はあっても便器がなく、水道も通っていないようなものでした。また、食糧などの消費物資についても、十分にあると宣伝されていましたが、実際は、配給だけでは到底生活できないような水準でした。

このような、北朝鮮に実際に足を踏み入れればすぐに虚偽と判明する内容を宣伝していたということは、北朝鮮政府は、虚偽が発覚しても構わないと思っていた―なぜなら、帰国者を再度北朝鮮から出国させるつもりはそもそもなかったからだ―ということに他なりません。

そのほかにも、

  • 帰国者が錯誤に陥っていることを被告が認識していたこと
  • 帰国者の大半が非常に困窮したこと
  • 日本からの帰国者は下層成分とされたこと
  • 日本人妻の一時帰国も1997年まで許されなかったこと
  • 一般の在日コリアンの北朝鮮往来が可能になった後も、帰国者の往来は認められていないこと

からも、北朝鮮政府が、明らかに、当初より帰国者らを出国させないことを想定していたことがわかります。

そして、実際にも帰国者は出国が許されませんでした。

原告らのように命がけで脱北した者がいることが、北朝鮮から自由に出国できないことをまさに示しています。また、一般の在日コリアンの北朝鮮往来が可能になった後も、帰国者の往来は認められていません。

このように、当初の計画及びその後の実施状況の両面から、国家誘拐行為は、「不可分かつ連続して実施されることが当初より想定されており、かつ、実際にそのように実施された」といえます。

行為の一体性③:客観的一体性の検討

客観的一体性については、行為主体、時期的隔たり、行為態様に着目して説明がなされました。

「行為主体」という点から見ると、北朝鮮政府は日本政府との間に国交がないため、自ら活動することはできませんでしたが、朝鮮総連を被告の手足として使って、虚偽宣伝を行いました。朝鮮総連が被告の手足であることは、朝鮮総連の性質と被告との関係から明らかです。

「時期的隔たり」については、虚偽宣伝を受けて北朝鮮へ渡航した帰国者たちについて、渡航直後から継続して出国を許さなかったものであり、時期的隔たりが生じたことは一度もありません。

「行為態様」という観点からは、虚偽宣伝と出国妨害とでは態様が異質にも思えますが、行為態様以外の点から客観的一体性は優に認められるため、この点は問題となりません。

損害の一体性の検討

ここまで見てきたとおり、主観的一体性及び客観的一体性が認められるため、行為の一体性は認められることとなります。

続いて、損害の一体性ですが、国家誘拐行為により侵害されたのは、原告らの「居住する国家・体制を選択し、これを実現する権利」です。この権利は、日本国憲法13条が保障する自己決定権、及び同22条が保障する居住移転の自由・海外渡航の自由に由来します。この権利が侵害された結果、原告らは、基本的人権の保障を受けることができる場所で生きることが不可能になりました。

この損害は、虚偽宣伝の時点から原告が脱北するまで数十年にわたって継続的・累積的に発生し、原告本人尋問で立証されるように、原告らの人生そのものを奪いました。この損害は、各時点ごとに切り離して評価しうる性質のものではなく、不法行為終了時において、人生損害を全体として一体的に評価しなければ損害額の適正な算定は不可能です。したがって、「損害の一体性」が認められる場合であることは明らかです。

まとめ

以上より、冒頭で述べたとおり、行為の一体性(社会通念上一連一体の継続的な不法行為の実体があること)及び損害の一体性(各時点ごとに切り離して評価することが困難で、人生損害を全体として一体的に評価しなければ損害額の適正な算定ができないこと)が認められる結果、国家誘拐行為は継続的不法行為として一体のものであると評価すべきことになります。(国家誘拐行為の一体性についての詳細は、原告第5準備書面をご覧ください。)

傍聴席からの感想

林弁護士の意見陳述、裁判官に資料を示しながら行われましたが、非常に明快でわかりやすく、北朝鮮による国家誘拐行為が一体性を有することが説得的に説明されていたと思います。

クラウドファンディングのお願い 

裁判所で弁論期日が行われることを受けて、10月14日から12月10日午後11時まで、READYFORで北朝鮮帰国事業裁判のためのクラウドファンディングが行われています。

裁判で勝訴をつかみ、それをバネに北朝鮮に残る帰国事業の被害者及び子孫の救済を日本政府・国際社会に訴えていくには、多くの費用がかかります。

ぜひ一人でも多くの皆さまに、クラウドファンディングにご支援をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

皆様からのご支援は、北朝鮮帰国事業訴訟費用、帰国事業の実態の周知、北朝鮮に残る被害者及び子孫の救済に向けたアドボカシー・広報活動等に当てられます(READYFOR特設ページより一部引用)。

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裁判傍聴記その1 裁判の流れ・弁護団意見陳述(福田弁護士)編

2021年10月14日(木)10:00~16:30 東京地方裁判所103号法廷にて行われた第1回口頭弁論期日の内容について、本日より数回に分けて詳細にご報告いたします。

まずは裁判の流れを概説した後、原告ら代理人の福田健治弁護士による意見陳述の概要をご紹介します。

 

裁判の流れ 

裁判全体は以下の流れで進みました。

  1. 訴状及び訴状訂正申立書陳述・準備書面1~6陳述・証拠(甲1~51号証)の取り調べ
  2. 弁護団意見陳述
    (福田健治弁護士によるこの裁判の意義・主張要旨の説明)
    (林純子弁護士による不法行為の一体性についての説明)
  3. 原告本人尋問(川崎栄子さん)
  4. 証人尋問(高柳俊男先生/法政大学国際文化学部教授)
  5. 原告本人尋問(榊原洋子さん)
  6. 原告本人尋問(高政美さん)
  7. 原告本人尋問(齋藤博子さん)
  8. 原告本人尋問(石川学さん)

被告不在のため、今回の審理のみで弁論は終結となりました。

判決言渡しは2022年3月23日(水)午後3時~東京地方裁判所103号法廷で行われます。

弁護団意見陳述(福田健治弁護士)詳細 

1 この裁判の意義について 

まず、弁護団は、日本の国内裁判所が北朝鮮の人権侵害行為を審理・判決することの意義説明しました。

弁護団によれば。北朝鮮政府がその領域内に居住する人々の人権・基本的自由を侵害していることは国連調査委員会の報告書においても詳細に記録され、同報告書は、帰国事業を通じて北朝鮮に拉致された人たちへの行為も含め、北朝鮮戦政府による人権侵害行為が国際刑事法上の人道に対する罪に該当すると認定しています。

しかし、国家による組織的な人権侵害の責任追及の場として設けられた国際刑事裁判所(ICC)は、ICC規程が発効された2002年7月1日以降の犯罪に対してしか管轄権を持たないため、国際裁判の場で本件に関する北朝鮮の責任を追及することは容易ではありません。また、もちろん北朝鮮国内で救済が与えられるはずもありません。

そのような状況下において意味を持つのが、北朝鮮以外の国家の国内裁判所における責任追及です。弁護団は、アメリカのワシントンDC連邦地方裁判所が、オットー・ワームビアさんへの行為(※)について北朝鮮政府に5億100万ドルの支払いを命じた判決に言及しつつ、日本の国内裁判所においても北朝鮮の人権侵害行為の責任を明らかにし、原告らに救済が与えられなければならないと強調しました。

※ オットー・ワームビアさんはバージニア大学在学中の2015年、中国からのツアーに参加して北朝鮮を訪問した際に北朝鮮に拘束され、2017年6月にアメリカへの帰国が許された際には昏睡状態であり、帰国後すぐに亡くなりました。ワームビアさんの両親は2018年4月、北朝鮮戦政府を被告としてアメリカ連邦裁判所に提訴していました。

2 原告主張の概要について 

 次に、弁護団は原告が主張・立証することの概要を説明しました。

帰国事業の概要についての主張・立証の概要 

一般的に、帰国事業は以下の流れで進められたとされてきました。

  • 1958年8月11日:朝鮮総連川崎支部中留分会で集団帰国決議が行われる
  • その後、朝鮮総連による帰国運動が大規模化
  • 9月8日:金日成首相が在日朝鮮人の帰国を歓迎する旨を発表
  • 9月16日:南一外相が帰国のための条件を整えることを表明
  • 10月16日:金一副首相が帰国のための条件を整えることを表明
  • 1959年2月:日本政府が帰国事業の実施を承認する閣議決定を行う
  • 8月13日:日本赤十字社と北朝鮮赤十字会が帰還協定を締結
  • 12月14日:最初の帰国船が新潟港を出発(16日に北朝鮮の清津港に到着)

これを見ると、まず朝鮮総連中留分会の帰国促進決議が存在し、帰国を求める運動が沸き起こった結果、それに呼応する形で北朝鮮の首相らが帰国の歓迎と条件の整備を述べたという流れになっています。

しかし、現在の史料に基づけば、この因果関係はむしろ逆であること、すなわち帰国事業は、北朝鮮政府が自国に政治的・経済的利益をもたらすことを目的として能動的に計画・実施したものであり、「在日コリアンからの要望とこれに呼応する北朝鮮の声明」という流れは、すべて北朝鮮政府の水面下での演出に他ならないということが分かっています。

弁護団はこの事実をソ連の外交官ペリシェンコの日誌によって明らかにすると述べました。駐北朝鮮臨時大使であったペリシェンコは、中留分会決議に先立つ7月23日及び中留分会決議の翌日である8月12日に金日成と会談しており、その時の金日成の帰国事業に関する発言を日誌に記録していたのです。その日誌には、金日成が7月23日の時点で「帰国事業が実現すれば、北朝鮮に政治的・経済的に大きな利益をもたらすであろう」という趣旨の発言をしたこと、また、8月12日には、「日本に住む朝鮮人自身が積極性を発揮して日本から帰国に関する問題提起をし、朝鮮総連が日本政府と朝鮮民主主義人民共和国政府にしかるべき要望を行った後、共和国政府による声明が続く」という準備の順序について発言していたことが記載されていました。

北朝鮮政府による不法行為についての主張・立証の概要

日本において在日コリアンを積極的に帰国事業へと勧誘したのは朝鮮総連です。これを北朝鮮政府の不法行為責任と結びつけるためには、まず、朝鮮総連の行為が不法行為にあたること、そして朝鮮総連による不法行為が北朝鮮政府自身の行為である、あるいは北朝鮮政府との共同不法行為であると評価できること、が必要となります。

朝鮮総連の行為が不法行為であることについて、弁護団は、朝鮮総連が帰国事業への参加を呼びかける中で「大規模な虚偽宣伝をしたこと」が不法行為にあたることを主張・立証すると述べました。

朝鮮総連が行った宣伝の内容は、金一副首相の発言、朝鮮総連中央常任委員会宣伝部が作成したパンフレット、朝鮮総連の冊子『帰国者のための資料 第2集』などの客観的活字情報や、原告本人尋問などで立証していくことになります。

これらの証拠から分かることは、朝鮮総連は

  • 北朝鮮は帰国者が何不自由ない生活を保障することのできる物質的土台を持っている
  • 都市だけでなく農村でも文化住宅が建てられ、生活は日増しに豊かになっている
  • 帰国する在日同胞は、生活に必要な一切の物質を十分に保証され、自己の能力や希望に応じた職業に就くことができる
  • 専門学校、大学に進学して、一般の学生と同じように奨学金を受けることができる
  • 一定の年齢に達すれば、健康であってもなくても死ぬまで定期補助金を交付する
  • どのような病気にかかっても治療費、入院費は無料である

などとして、北朝鮮は衣食住について心配の要らない「地上の楽園」になったと強調したということです。

日本では在日コリアンは差別の対象であり、国民健康保険に加入できない、朝鮮学校からの大学進学も困難である、就職できる職業が限られるといった状況下で苦しい生活を強いられている人々が多数いました。そんなときに、北朝鮮が上記のような「地上の楽園」であると宣伝されれば、それは帰国を促す強い求心力となるに違いありません。

しかし、実際には、原告の陳述書や原告本人尋問から明らかになるとおり、北朝鮮は移動の自由、職業選択の自由、思想良心の自由、表現の自由が極めて制限される人権抑圧国家でした。なかでも帰国者は最下層の身分に分類され、最低限の食料すら得ることのできない状況に置かれました。

このように、ことさらに虚偽の内容を宣伝し、原告らを錯誤に陥らせて帰国させたことは、朝鮮総連による不法行為にあたると原告・弁護団は評価しています。

(なお、本件原告らは、虚偽宣伝行為によって北朝鮮の現状を誤認させた上で帰国させ、さらに帰国者が北朝鮮から出国することを許さず、長期間同国内に留め置いたことについて「継続的な不法行為」であると主張しています。この点の法的構成は、次回の「弁護団意見陳述(林弁護士)編」の中で紹介していきます。)

実際に日本国内で帰国決議を行い、運動を盛り上げ、在日コリアンを勧誘するという虚偽宣伝の実行行為を行ったのは朝鮮総連であって北朝鮮政府そのものではありません。しかし、朝鮮総連は北朝鮮政府の指導・指示の下にある組織です。先ほど指摘したペリシェンコ日誌から読み取れる金日成の発言をも合わせれば、これらの虚偽宣伝も北朝鮮政府からの指示で行われたことは明らかです。

そこで、弁護団は、帰国事業の実施にあたっての朝鮮総連の行為は北朝鮮政府の行為と同視することができ、少なくとも両者の間には共同不法行為が成立すると評価されるべきであると主張し、この点について高柳教授の証人尋問で補強すると説明しました。

傍聴席からの感想

福田弁護士は約20分の意見陳述の中で、本日の主張立証内容を明確にし、また本件裁判の有する意義を明らかにしました。

意見陳述でも言及されましたが、今回原告となった5名の背後には、同じように苦難を強いられた9万3000人以上の帰国事業参加者がいます。その多くは既に死亡していたり、未だ北朝鮮に取り残されたりしています。また、幸運にも脱北に成功した原告らも、北朝鮮に家族を残しており、その家族の安否すら確認できない状態が続いています。

この裁判は、日本の裁判所で北朝鮮政府の責任を問う初の裁判であるとして注目を集めていますが、そういった側面にのみ注目するのではなく、帰国事業が今も被害を生み続けている現在進行形の問題であること、そして帰国事業推進の背景には日本人による在日コリアン差別という事実があったことを深刻に受け止めて行く必要があると感じました。

クラウドファンディングのお願い 

裁判所で弁論期日が行われることを受けて、10月14日から12月10日午後11時まで、READYFORで北朝鮮帰国事業裁判のためのクラウドファンディングが行われています。

裁判で勝訴をつかみ、それをバネに北朝鮮に残る帰国事業の被害者及び子孫の救済を日本政府・国際社会に訴えていくには、多くの費用がかかります。

ぜひ一人でも多くの皆さまに、クラウドファンディングにご支援をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

皆様からのご支援は、北朝鮮帰国事業訴訟費用、帰国事業の実態の周知、北朝鮮に残る被害者及び子孫の救済に向けたアドボカシー・広報活動等に当てられます(READYFOR特設ページより一部引用)。

readyfor.jp

 

2021年10月の報道のまとめ(10月16日現在)

10月14日の口頭弁論を受けて、様々な媒体で取り上げていただいています。

国内

朝日新聞

www.asahi.com

読売新聞

www.yomiuri.co.jp

産経新聞

www.sankei.com

共同通信

news.yahoo.co.jp

時事通信

www.jiji.com

弁護士ドットコム

www.bengo4.com

NHK

www3.nhk.or.jp

TBS

news.tbs.co.jp

テレビ東京

txbiz.tv-tokyo.co.jp

海外

AP通信

apnews.com

Guardian

www.theguardian.com

Independent

www.independent.co.uk

DW

www.dw.com

朝鮮日報

www.chosun.com

BBC

www.bbc.com

NHK WORLD

www3.nhk.or.jp

VOA(韓国語放送)

www.voakorea.com

クラウドファンディング

裁判所で弁論期日が行われることを受けて、10月14日から57日間、READYFORで北朝鮮帰国事業裁判のためのクラウドファンディングが行われます。

readyfor.jp

裁判で勝訴をつかみ、それをバネに北朝鮮に残る帰国事業の被害者及び子孫の救済を日本政府・国際社会に訴えていくには、多くの費用がかかります。

ぜひ一人でも多くの皆さまに、クラウドファンディングにご支援をいただきたく、よろしくお願い申し上げます。

皆様からのご支援は、北朝鮮帰国事業訴訟費用、帰国事業の実態の周知、北朝鮮に残る被害者及び子孫の救済に向けたアドボカシー・広報活動等に当てられます(READYFOR特設ページより一部引用)。